
マインドフルネスの語源
マインドフルネスは、仏教用語サンマ・サティ(Samma-Sati、漢語: 正念)のサティの英訳です。正念とは、ある物事や対象物に執着あるいは嫌悪などの価値判断を加えることなく、中立的な立場で注意を払うことを意味します。正しい念が深まると心が揺らがなくなり、何事にも惑わされない状態になるという、もともと仏教用語を英訳した言葉がマインドフルネスということになります。
マインドフルネスが注目されるようになったのは、1979年にストレス低減プログラムとして創始された瞑想とヨーガを基本とした治療法が、マサチューセッツ工科大学のジョン・カバットジン氏により創始されました。ジョン・カバットジン氏は、仏教を宗教としてではなく人間の悩みを解決するための精神科学としてとらえ、医療に取り入れました。
ジョン・カバットジン氏のマインドフルネスもサンマ・サティも、リラックスしたり、思考を制御したり、不快を即解決したりすることが直接的な目的ではなく、結果的に自分自身をしっかりと見つめられ、惑わされない本来の自分自身を見つめることができた結果、ストレスが手放せた状態になるというのがもともとの考え方だと言えるでしょう。
なぜマインドフルネスが世界に広がったのか?
ジョン・カバットジン氏は仏教の考え方を研究し、マインドフルネスという名前のセラピー法を確立させました。それが世界に広がったワケは、瞑想という行為を取り入れ、仏教を学ぶとか経文を唱えるなどの宗教性を排除したことによります。
この仏教の仏法に書かれた内容をベースとして生まれたマインドフルネスですが、実際にマインドフルネスを学ぶ際には、宗教性を持つ内容や教えは排除されています。また、科学的な実証をもって効果測定をおこなっています。そのため、世界中の人々に受け入れられたのだと考えられます。
仏法に書かれていることの根底にあるものは、執着や嫌悪というネガティブな感情を持たず中立的な心をもって物事をみること。それによっておのずと穏やかな心の状態がおとずれ、ストレスが解き放たれた自分と遭遇することができるのではないでしょうか。
マインドフルネスは、その心や脳の状態などを科学的に実証し、全世界にわかりやすくその効果を示しました。そして『ストレス低減プログラム』という問題解決型だと私たちが認識できるネーミングをつけることで、いわゆるグローバル的に流行することになったと言えるのではないでしょうか?
マーケティングの手法として、【問題解決提案】は効果的だということは、売れる講座、売れるセミナー、売れる~ ですべての講師が提唱することです。
マインドフルネスは、現代のストレス社会そしてそれに輪をかけるようにコロナによる生活環境の劇的な変化という環境下における【問題解決】にぴったりはまり急速に波及したのは間違いないでしょう。
自分を知る。自分を見つめる。
心の健康、体の健康を考えるときに最も大切なことをは自分を知ることだと思います。
世間一般で、良いとされることは統計学的に大半の人に良いという結果が出ているというだけであり、万人に同じ結果が出るということではありません。
料理と同じ、美味しいと感じる味は国、地域、家族、個人により異なるのと同じ、健康法も各々自分に合う健康メソッドを見つけていくことがベストだと思います。
家庭の味があるように、健康法も自分なりのレシピを作っていくことが、少し先の自分の健美を作り出していくのです。
そのためには、できれば毎日、自分自身と対話する、向き合う時間を作ることが重要となってきます。まず、自分の身体と心の状態を知らなければ、どんな健康法を取り入れていってよいのかわからないということです。
例えば、日本の家では毎朝ご先祖様の仏壇に手を合わせるという習慣がなくなりつつありますが、多くの家庭で『祈る』という行為が朝のルーティーンだった時代がありました。この『祈る』という行為が、ご先祖さまや人々に感謝し、自分の今日の様子をみつめ、願っていることを冷静に整理する良い時間だったのではないでしょうか?
調子が悪いときは、「早く〇〇の痛みがとれますように」とか、今のように世界が混とんとしているときには「早く平穏な世界が訪れますように」とか、家族が病気の時は「早く〇〇の病気が治りますように」、そして何か良いことがあれば感謝の思いを伝える。そんな時間だったのではないでしょうか…
病気や痛み、悩みに気付き、その改善を祈ることで、その事象にまっすぐ目を向けることができる時間。そして感謝の念をもつことで人にも自分にも優しくなることでと心が落ち着くことを体感する時間。そういう何気ない習慣が、実は心と体を整える時間になっていたということです。
私が生活したことのあるスペインでも、昔の教会に行く習慣が今ではなくなりつつあるそうです。つまり、祈るという行為=自分を見つめる時間が薄れつつあるということです。
宗教や祈る形は違いますが、『祈る』という行為に宗教や国境の違いはないのではないでしょうか。
先日、高山セルフケア合宿の際に、飛騨千光寺の大下大圓僧侶の臨床瞑想法*の体験をしたのですが、その大圓氏のお話の中にも、『祈り』は宗教、宗派の違いを超える行為だというお話がありました。
戦争、不安、ストレス、疲れ・・・ どうしたらいい??? と不安定になった時、無意識に行っている自分の呼吸に意識を傾け、自分の中を落ち着いて見つめてみる。そうすると、心が落ち着き、周囲で起こっていることに惑わされない、今の自分を冷静に見ることができるようになってきます。
瞑想って誰でもできるの? 座禅組めないけど?
瞑想っていうと、座禅を組んで背筋をピット伸ばして、雑念を取っ払って集中!という修行みたいなイメージ持たれている方いませんか?
何かを習う時、みんなにわかりやすく、教えるときに便利なのでマニュアル化することが推奨される現代社会。つまり【形】から入っていくのが、学びやすく教えやすいということです。
しかしどうでしょう?物事はどうやるか?よりも何のためにという目標を明確にし、その目標までの道のりは、人それぞれ違ってもいいのではないでしょうか。
【形】にばかりとらわれていると、いったい何のためにやっているんだろうと悩んでしまったり、【形】にとらわれすぎると、その型にはまらない自分には向いてないなどと続かないことがありませんか?
大下大圓氏の臨床瞑想法の研修では、まず「瞑想はどなたにでもできることです。」という言葉から始まります。
瞑想の目的によって4段階に分けてわかりやすく解説してくださる『臨床瞑想法』講座は、瞑想に興味を持っている方、瞑想ってどうなの?ってちょっと不思議に思っている方にはとてもお勧めの講座です。
特別なことでなく、自分をゆるめる時間、みつめる時間を1日にちょっとだけでも持つことの大切さを体感できます。
慣れていない方は、一人でなんとなくやるより、グループで体験してみた方が、スッと瞑想というものを体で受け入れることができます。
座り方も様々で、必ずしも座禅しないと瞑想できないということではありません。歩きながらでも、立ったままでも瞑想はできます。
大事なことは、瞑想をする前に、体の緊張をほぐしすこと。現代人は常に体が緊張しています。それをまずフィジカル的に緩め、瞑想で心と思考も緩めていく時間を普段の生活に1日に5分でも作ってみると、イラっとしたり、不安になったり、沈んだ気持ちなどと少しうまくお付き合うことができるようになるかと思います。
自分の心身を大事にする時間をもつ!
体の緊張をほぐすことは、スパファンゴヘルシーエイジング協会の月一勉強会TERRA小屋5月でもやった筋弛緩法を用いることで短時間ですっと力を抜くことができます。
TERRA小屋は、普段の生活に取り入れられやすい健美の方法を楽しくわかりやすく学ぶ月一の勉強会です。学ぶだけではなく一緒にやってみることで、一人で本を読んでやるよりも断然その方法の理解度が高まります。
6月は、『笑いと健美』をテーマにみんなで楽しく笑って、免疫力もほうれい線もアップしていきますよ!
笑いヨガなどいろいろありますが、なんか一人では恥ずかしくてなかなか取り組めないと思ってらっしゃる方も多いのではないでしょうか?
でも笑うって本当に良いことづくめ!
「笑いヨガはちょっと…」と思っていらっしゃる方、ぜひこの機会にTERRA小屋参加してみてください! きっと恥ずかしいが楽しいにかわりますよ!

自分の心身のことを考える気づきの時間を月に一回持つことを積み重ねていくと、気づかないうちに良い方向へご自身が変わっていきます!
今月も楽しくやっていきましょう!
ご参加はこちらから。
*臨床瞑想法:「臨床瞑想法は大下大圓師の臨床現場での経験知から、ゆるめる瞑想、みるめる瞑想、たかめる瞑想、ゆだねる瞑想の4つのメソッドで完結しています」
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