
スピリチュアルと聞いてどういうイメージが浮かびますか? 読む前にちょっと考えてみてください。
スピリチュアルはそもそもラテン語から英語になったものです。ラテン語の流れをくむスペイン語でも Espiritual (エスピリトゥアル)という言葉があります。
スペイン王立アカデミーが出している辞書でEspiritualの説明を見てみると「Espirituに属するものまたそれに関係するもの」「(人の有様を説明する言葉で)繊細で物質的・即物的なものごとにあまり興味がない様子」という説明があります。3番目に名詞として使われるときに「北米のアフロコロンビアン族などが独自に持つ宗教の祈り」という意味も記載されています。そして、Espirituの意味は「無形で理屈から離れたもの」「動かす基、何かの真髄や根幹」「自然の活力」などなど長い説明が出てきます。
「物質的ではない」とか「無形」ということから、目に見えるものではなく感じるものという共通項が見えてきます。
そうなってくると人は、スピリチュアルって何だろうと色々研究をし、自分が納得したり人に説明したりするために様々な現象や例を挙げて言葉を自分のものにしようとするのが性なのが人間なのかもしれません。
英語をカタカナにした日本語のスピリチュアルって?
広辞苑に掲載されている「スピリチュアル」の意味は、①精神的。霊的。宗教的。
②アメリカの宗教的な民衆歌曲。白人霊歌・黒人霊歌・ゴスペル‐ソングなど。と出てきます。
世の中にあるいわゆる専門家が書いた文献を読んでみると「精神科医療におけるスピリチュアル」とか「心理学的にスピリチュアル」とか、色々枕詞がつきます。
言葉の意味や解釈は、大きく言えば文化的背景、身近なことで言えば自分が育ってきた環境や教育の背景によって、捉え方が異なる面もあります。
だから「そんなつもりで言ったんじゃないのに・・・」という人間関係における理解の相違が出てくるのだと私は思っています。
日本では、「スピリチュアル」と聞くと「霊感」「怪しい」「お告げ」等、江原啓之さんとか美輪明宏さんとかを思い浮かべる人が多いかもしれません。
実際に私もスピリチュアルって言葉に何だか「自分には関係ない」「足を踏み入れてはいけない」などネガティブな感情を持っていました。
先ほど、言葉の意味の解釈は、人それぞれで異なる面もあると書きました。つまり、私の頭の中にある言葉の辞書に書き込まれていた「スピリチュアル」という言葉から受け取る意味は、あまり良いイメージがなかったということになります。
同じくして、日本語の「霊感」という言葉を聞くと、すぐに「霊感商法」という言葉が浮かんできてしまい、私の中では「悪」というイメージに直結してしまいます。
皆さんはどんなイメージが思い浮かびましたか?
世界の長者番付に名前が挙がる人がやってる瞑想やマインドフルネス
スティーブ・ジョブズ氏の「禅マインド」などが話題になって、色んな人たちがマインドフルネスや瞑想を<習おう>として、瞑想の先生に師事したり、本を読んだり奔走している人たちが多いなあと感じます。
ただ最近瞑想は<習う>ものではないと思うようになりました。
私は、スティーブ・ジョブズ氏ではないので、禅や瞑想をやって彼が本当に何を感じたのかわかりません。多分自分が本当に感じたことを活字でも説明しきれていないのではないかなと思います。 なので、これは私の勝手な解釈として軽く読んでいただければと思います。
「なぜジョブズは禅の生き方を選んだのか?」という本も出ているのでそれを読んでもないのに何を言ってるんだという方もいらっしゃると思いますが、あくまでも私の想像ということで・・・
世界の長者番付に名前が挙がるぐらいの人なので、毎日いろんなことを考え、整理し、決断をするという作業をしていたことは間違いありません。
それがルーティンになってしまうと、おそらく自分が疲れていることさえ忘れてしまうこともあったのではないかなと思います。そうなってくると、ビジネスを始めた当初の「ひらめき」みたいなものが出てこない、だとかビジネスが大きくなるにつれて昔のように自由に決断できないとか、精神的にも色々な変化が出てきたのでしょう。
自分の決断が、すごい数の社員や顧客の明日をも左右してしまうことになりかねないのですから当たり前ですよね。
その疲れでガチガチに固まってしまった心と身体をほぐすツールとして禅寺の慣習を自分の生活に取り入れてみたのだと思います。
世界トップクラスの持てる人が、その正反対のスピリッツ=「無形で理屈から離れたもの」を大切にする生き方を求めたなんて、人生って何なんだろうなと思ってしまいます。
こういう本や話を聞くと、「瞑想ってビジネスを成功させるのに必要よね」とか「マインドフルネスをやるとアイデアが降りてくるらしいよ」とかいう人が出てきて、話題になり流行し、たくさんのHOW TO 本が出版されています。
この「アイデアが降りてくる」という言葉には要注意で、「XXが見えた」とか「光が差した」とか瞑想の先生や一緒に瞑想している人が言うもんだから、「自分もいつかみてやる!」と意気込んで<瞑想を習う>という行為に走ってしまいます。特に悩んでいるときは、そこに救いを求めてしまいがちです。
この、「誰かにどうにかしてもらおう」、「宇宙や天と繋がって決断の時を教えてもらおう」という、ちょっと他力本願的な考えを強く持ってしまうとネガティブな意味を持った「スピリチュアル」方面へ誘い込まれてしまいがちだと私は考えています。
協会の北本理事と飛騨千光寺の大下大圓氏の元で、私は「臨床瞑想法」について学びました。「お前も習っているじゃないか」と突っ込まれるかもしれませんが、午前中が人類が1200年以上も前に人に伝えるためにまとめ上げていた「生きる」そして「生き方」についての考え方について知る座学、つまり先人の考えを知る講義を受けた後、その先人の学を自分なりに消化して、午後はずっとひたすら色々な場所で自分の時間を瞑想して過ごします。瞑想の後は、みんなで集まって自分がその時間で感じたことをそれぞれがシェアします。
瞑想のやり方とか、こう坐ってくださいなどの説明はほとんどありません。ただ1つ、どの瞑想をするにも、まず最初に体をゆるめることをしてから瞑想の時間に入ってくださいとだけ言われます。
最初のころは、「光がさしてきて色が見えた」とかいう感想を聞くたびに、何も見えないし、温かくもならない自分は瞑想できてなかったんじゃないかと思うばかりで不安でした。
講師の大圓氏も一人ひとりの感想に何のコメントもしません。ただ聞くだけです。最初は、そのことが更に不安を助長します。
しかし、何度か繰り返していると、人がどう感じたかを「そんな時間を過ごした人もいたんだな」という気持ちで受け止め、自分が感じたことも素直に受け入れられるようになってきた変化にちょっと驚きます。
大圓氏が、常にそれぞれの人の感想に「そうですか」と肯定しているだけなのですが、自分の受け止め方が変わっていくと「そのままでいいんですよ」と言っているように感じられてくるのです。
これまで、全ての事象に「なぜ?」とか「どうしてできないんだろう」とか理由や理屈探しをすることが自分を守ることだと思っていた私ですが、ちょっとその鎧を脱ぐことが出来た瞬間、入ってくる感覚や思いが変わってくることを実感できたのです。
つまり、【裸一貫になり自分の芯に眠るものを見つめる】的な時間を持つことが瞑想なのではないかと私は考えています。これまで生きてきて人間関係色々ある中で、何も持っていない自分になるのは日常生活では難しいことです。瞑想は自分自身で、裸一貫=スピリチュアルな私 に気付く数分間を作るツールだと私は感じています。
「お告げ」や「降りてくる」ものではなく、自分の奥底に眠っていたものに気付くための時間なんだと思います。その気付きが人によってはお告げのように聞こえるのかもしれませんね…。
毎日のほんの数分間【裸一貫】=スピリチュアルな自分に気持ちを向けてみると、この広い世界、そして宇宙の中で自分が知らないことや不思議なことはたくさんあるし、息して生きてるこの時間さえもすごいことのように思えるようになってきます。
自分には人にないものがあり、人には自分にないものがある。
弱った時は、自分にないものを持った人を崇拝したくなることもあるでしょうが、自分の言葉の辞書に自分なりのスピリチュアルという言葉の意味をしたため、弱った時こそ自分と向き合う時間を作るのが復活の最善策なのかもしれません。

知恵がつくと目に見えないものが不安なるのは当たり前
とはいっても、人は目に見えないものや予測できないことにとても不安を抱きます。
そのため、過去を振り返ると後悔、未来のことばかり考えると不安、だから今を見つめようというマインドフルネスという考え方が流行したり、困った時に占いに行ったりなど、不安をぬぐうために色々人間はツールを探してしまいます。
私たちは生まれてから少しずつ知識というものを付けていきます。今大人の私たちが子供だった時代、明日のことを考えて不安だとか、来年のことを考えて不安だとか思っていたでしょうか? 逆に、「早く1年生になりたいな〜」とか「早く来年の誕生日来ないかな〜」とか、未来のことを考えるとワクワクしていたのではないでしょうか?
何本か買ってきたアイスを一つ選んで食べているとき、棒に「あたり」の文字が出てきたら飛び上がって喜んだ子供時代。
大人になると、1つあたりが出ると「確率的にもうこの中からあたりは出ないだろうな。」とか、素直に喜ぶ前にちょっと計算してしまうようになる。
「あ〜子供のころに帰りたい」と思わずつぶやいてしまうことありますよね。
昔は、「早く大人になりたーい!」って言ってたのに。
そう、私たちは知識がついてくると、なんでも起きることに理由や原因を見つけたくなり、この先それがどうなるか色々思いを巡らせてしまいます。
知識がつけばつくほど不安になったり、起きてしまった事象に原因を探したり、ひどい時には誰が悪いんだと責める対象物を探したりしてしまいます。
誰かを責めたり、怒ったりした後、気持ちよかった!と100%思える人は少ないと思います。
世の中には、アンガーコントロールとかコーチングとか様々な心のバランスをとるツールが蔓延しています。それだけ自分の心のバランスが取れていないなと感じている人が多い世の中なんだなと思います。
もし、ご自身の中で「怒り」「悲しみ」「やりきれない思い」などアンバランスだなと感じたら、一人の時間を作って鎧を脱ぎ捨て体と心をゆるめてみてください。ゆるんでくると、同じことでも違った方向から眺めることが出来て、ネガティブな思いから解放され気持ちよくなれますよ。
「ホントですか〜」と思う方、当協会理事の北本先生のガイドで6分だけ自分の呼吸だけに注意を向ける時間を作ってみませんか?
感想をシェアいただける方に視聴リンクをお送りしています。
心も身体も柔軟に生きましょう!
12月のセルフケア力をアップする健美の勉強会は第2金曜日12月9日金曜日 20:00〜です。
皆さんとおしゃべりしながら、来年の決意表明をお互いにしたいなと思っています。
今回は参加無料ですので、セルフケアって大事だよねってちょっとでも気付き始めてそうなご友人やご家族などもお誘いあわせの上ご参加ください。
飲んだり食べたりしながらZOOMで楽しいひと時を過ごしましょう。
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著者:HIROKO ISHIHARA
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