今週、沖縄で老人ホームやデイケアセンターの視察に同行してきました
改めて、【歳を重ねること】【介護する側、される側の幸せ】ということを考えさせられました 幸せってなんだっけ~

健康に年を重ねる ウェルビーイングというテーマはきっと人間にとって永遠の課題なんだろうと常に思っています 簡単なことではないし、ウェルビーイングのために何かしなくてはということに取りつかれてしまい、かえってストレスになってしまうこともあります。
体力、記憶力、処理能力、能力と人間が呼ぶものは歳をとれば、若いころと同じようにはいかないのは当たり前ってわかっていても、それを心穏やかに受け入れることは難しいことです
また、親が歳をとっていき、昔はできていたことができない!なんてことが起きると家族は、その状態を素直に認めることはとっても難しいのです。親はいつまでも親でいてほしいというそんな願望がどこかにずっとあるのでしょう。そして、自分の歩むかもしれない姿を見せられているような気がして、余計現実を打ち消したくなってしまいます。
だからついつい「どうしたの?」「しっかりして!」と言ってしまう…
時々、脳を割って何が親の頭の中で起きているのか見てみたくなることもあったり…
ただ、沖縄での体験がちょっとこんな考え方をしてみたら?というヒントをくれました。
笑顔が一番

沖縄のデイケアセンターをスペインの視察団と訪問した時、スペインの訪問団が「セビジャーナスを踊ります!」と言って、スマホで音楽をかけて踊りだしました。
すると、周りのデイケアに通っている方々が、杖を突いたり、椅子につかまったりして立ち上がって、手を叩いて笑顔で踊りだしました。
1曲終わると拍手喝采! セビジャーナスにこたえるように、職員の方がじゃみせんを弾きだすと、利用者のおじいとおばあが皆踊りだし、スペインの視察団を誘って笑顔で2曲踊り続けました。

96歳のおばあちゃんが、帰るときに手を握って「ありがとね 昨日もあなた会いに来てくれたよね 楽しかった」としっかりとした口調で私に言いました。
昨日私とはあったことないはずなのですが、笑顔で楽しそうに言われたら、なんだか昨日会ったような気がして、「楽しかったね」と声をかけ、決して昨日会いに来たのは私じゃないという事実を伝える気になれませんでした。
これは、別に痴呆だからしょうがないと思ってそうしたのではなく、楽しいという「今」の笑顔に、会ったことがないという過去の事実はもうどうでもよいことのように思えたのです
ちょっと視点を変えてみて、お互いが笑顔になれることを1つでも見つけることができると介護する家族もされる側も楽になるのかもしれないと感じた瞬間でした。
しかし、沖縄には、歌や踊りの最後にみんなで踊るカチャーシーというものがあるのはいいなと思いました。なんだか細かいことはどうでもいい「踊らにゃソンソン」みたいな雰囲気があっという間に広がります。
ゆる~く続けるセルフケアを
沖縄のカチャーシーのように、ずっと続けてできることが何か1つでもあるとそれは自信につながり、笑顔につながるそんな気がします
毎日が難しいという方、月一のセルフケアをご一緒しませんか?
毎回、いろいろな視点からのセルフケアを取り上げています
その中から、ご自身の一生ものが見つかるかもしれません
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テーマは調身 一緒にゆる~く動いて普段の緊張を緩めていきましょう
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